- 108さんの動画「DEBUG③知覚不全の正体」をまとめています
- こちらの内容はブログ用に編集してあるものです
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歪んだ知覚を放棄する
皆さんは…皆さんはっていうか誰しもそうだと思うんですけども、自分が見て「こうだ」って思ったことを事実とするじゃないですか。
そうやって生きていってるわけですよね。
それを、
「いや違うしそんなん意味ねーよ」
っていうふうに言われたらもう
「じゃどうしたらいいの?」
っていうふうになりません?
結構怖いことですよね。
で、「主へのリクエスト」も、同じようなところにあるんですよ。
要は、自分が決めつけてることを、もう放棄して。丸投げしてみろと。委ねてみろっていうことです。
当然怖いですよね。
自分からしたらエゴからしたら、「そんなんできるわけない」みたいな話です。
「いや、そのために生きてんのにそれやめろって、そんなバカな」っていう話なんですよ。
だからそれを、敢えて言って。
で、でも実はそうしないと、充足って…充足というかパーフェクトな充足からもたらされる幸せ・喜びを体験するのは困難ですよ、って話なんですよね。
エゴの知覚
っていうのはどうしても、歪んだ知覚で解釈すると、完全性を受け入れられなくなっちゃうんですよね。
完全性というか…たとえば、バーってこう光が当たってるときに、太陽の光としましょうか。
太陽の光がバーって浴びてるときに、それはもう全方位じゃないですか。バーっと。
ピンポイントでビーッと来ないわけです。「熱っ!」とかならない。
もう全方位に…なんていうかな。際限なく制限なく、もう満ち満ちた光がワーっと溢れてるけども、それをここだけに…たとえば
「ここだけに当ててくれよ」
みたいなことを、エゴは言うわけですよ。自分は。
「他の光はいいよ、ここだけ見たいんだ」
みたいな。
「これだけ体験したいんだよ」っていう。「あといらね」っていう。
だからそれはもう知覚が制限されてるから、その歪められたエゴの知覚では、それだけのものが充足って思えちゃうんですよね。
「ここに光が当たりさえすればいい」と。
「それだけ欲しくてあとどうでもいい」みたいな感じの取り方になっちゃうわけです。
太陽の機能
そうすると、太陽にそんな機能はないわけです。
ここだけにピンポイントで焦点絞って当てるっていう機能ないから。
燦々と降り注いできてそこに、「ここに当てる」も含まれてるわけですよ。ね。
べつにここだけ焦点、ピンポイントでしなくても、他のとこにも全部当たってるけどもここにも当然当たってる。
ここだけ無かったら問題ですけど。
そんなこと起こりえないわけですよね。
そしたら全部に当たってんだったらいいじゃんって話なんですけども…それは許せないわけなんですよ。
歪んだ知覚では、燦々と当たってんのに当たってないと誤認しちゃってるんですよね。