不足を疑う part22【動画文字起こし】

この記事の内容
  • 108さんの動画「不足を疑う part22」をまとめています
  • こちらの内容はブログ用に編集してあるものです
  • 全編はこちらからご覧ください
もくじ

オープニング

こんにちは、108です。

ゴールデンウィークも終わりました。
またあのね、あったかくなってくるので、皆さんあちこち出かけたりすると思いますね。
行動制限もなくなってきてるんでね、皆さんも楽しんで過ごしてください。

ということで、じゃあまたね、コメント欄から抜粋してお答えしていきたいと思います。

疑ってその観点を元に行動してくのでしょうか?

クリスチャン ラッセンさん

疑ってその観点を元に行動してくのでしょうか?

例えのチケット購入なら、疑って、あれ?となって、問い合わせたりすると思うので

不足を疑うpart16その2

その観点を元に行動していくっていうことではないですね。

だから疑うのは、もう疑うだけで完結してるんですね。
「これ本当かな」と。
そのときは自分の知覚を疑うことになってるんです。

だから「この認識したこと違うのかな?」っていうことですね。

だからその…たとえばチケットが手に入ってないっていうことが不足だとすれば、疑って行動していくとなると「手に入ってない」が前提になっちゃいますよね。

手に入ってないからおかしいから行動するってなると、その手に入ってないっていう現実・認識した現実を元に行動していくことになるから、それは不足が元の行動になってしまいますよね。
そうなるとね。

じゃなくて「この認識してる知覚がおかしいんじゃないのか」って疑ってるだけですね。

その知覚がもし狂ってて、それが修正されて正気に戻ったら
「あ、チケットが手に入ってなかったってことはなかった」
っていう、つまり「チケットがあった」ってなるわけですね。

そうなったらもう行動する必要はないわけですから。

だから、そういうことです。

だから行動して、それはなんていうか…裏付けていくんじゃなくて、疑って、この知覚おかしいんじゃないかということで。
その自分の知覚を疑ってください。ね。

それだけです。

だから、まあ問い合わせしたり実際にはしてもいいと思いますけど。
実際にそういう「チケットがー」みたいな話だとそれは現実的な行動はするでしょうけども。

またそれとは別にですね、しながらでもいいんで「これ本当かな」って疑えば
「あ あったわ」
みたいなことになるかもしれませんね。

不足してるからイメージングしてたんだなって気付きました

たるしむさん

そう、変にイメージングすると逆に不足感が増すんです。不足してるからイメージングしてたんだなって気付きました。

そもそもその不足自体が本当か?って疑ったら別にイメージングしなくてもいいやって気分になり軽くなりました。

不足を疑う part21

ということで。

そうですね。
よく言いますけど、そのイメージング、ね。
必要じゃないって僕言ってんですけども。

「イメージングしなきゃ」ってなってるときは、それは不足をイメージングしたことで上書きしよう、みたいなね。
そういう意識があるわけですけども…。
そもそも、じゃあその不足がなかったら、イメージングして上書きする必要もないわけですよね。

だからイメージングして不足感が増すっていうのは、そのとき焦点を結んでるのはその不足の方なんですよね。
イメージングしたことじゃなくて、「これ消さなきゃ」っていうことで、「これ上書きしよう」ということで。
もうそれ、焦点を結んでるのは不足なんですよ。

だからよくね、イメージングしたりして潜在意識的な手法でやって、よりその不足が悪化するみたいなことあると思うんですよ、実際ね。
引き寄せでもあると思うんですけども。

自分が焦点を結んでるとこはどこかっていうことですよね。
そこですね。

だからイメージングして気分が良くなるのは、それはすればいいですし、いいんですけども。
今自分が何を感じてるか。ね。
感情ナビですね。
それによって分かると思うんですよ。
今焦点どこに結んでるのかがね。

だからイメージングは必須ではないから、それが自分の気が楽になったり、喜びの振動になることに寄与するならすればいいけど、必ずも必要ではないし、そうやってしたことで、余計不足に焦点が当たってしまうということになるんだったら、しないほうがいいってなりますね。

だからその不足自体が本当か?ってすれば、その前提のところだからこれ違うのかもってなれば、べつにイメージングは必要なくなるわけですから。
一番楽ですよねっていうことですね。
それで気分が楽になることが一番です。
それが一番のポイントです。

充足を体験するために一番必要なのは、振動数がどうなってるかだから。
だから気分が楽になってるってことは、もう振動数が充足になってるわけですから、もう…それがいいわけですよね。

そこを意識していってください。

小さな充足を偶然ではなくて私が叶えた!と認定することが大事なんですよね?

Y Nさん

偶然かわかんないですけど、私ってゲームフレンドいないなぁ…本当にいないのかな?と疑ってみたら今日、久しぶりにフレンドさんからお誘いがあって嬉しかったです。

こういう小さな充足を偶然ではなくて私が叶えた!と認定することが大事なんですよね?

不足を疑う part21

あのー、べつに自分が叶えたかどうかはどうでもいいですね。
うん。

まあ「自分が叶えたー!」となってそれで嬉しいってなるんだったら、そう考えることは自分の充足に寄与するということは言えると思うんですが。

その、要は…
「ゲームフレンドからのお誘いがあって嬉しかった」が、それが良かったことじゃないですか。
それが、自分の手柄なのかどうなのかっていうのはどうでもいいことですよね(笑)
そこにべつにこだわる必要はないと思います。

だからその
「やったー嬉しい!」
ってなることが大事だから。
それがね、何よりなんで。
それを自分が叶えたかどうかは、どこでもいいってことですね。

とにかく「充足来たんだ、良かった」ってなっておけばいいと思います。

疑っても物理的現象がないとエゴも納得しないと思います

kunioさん

ほとんどの人は、金、物が欲しいはずなんですが疑っても物理的現象がないとエゴも納得しないと思います。

今一度、ここの部分の対処をお聞きしたいです。

不足を疑う part21

ということですけども…

だからその要は、「金、物が欲しい」ってなってるっていうときは「金、物がない」ってなってるわけですね。
ないから「欲しい」ってなるわけですね。

だからエゴが「手に入らなきゃ納得できないよ」ってなってんですけども、
「いや ひょっとしたらあるのかもしれない」
と。
「今 ないと思ってるけど本当かな」
って思えば、さっきの話と同じで、もう前提の方が揺らぐわけですね。

そうなれば、その主張してるエゴも
「あれ 違うのかな」
ってなれば、その「手に入れなきゃ」の前提のところが違う…
手に入ってたらそもそも不満は言わないわけじゃないですかっていうことで。

だからその金、物が欲しいんだったら、まずそれを「欲しい」と表明すればいいと思います。
前にも言いましたけども。ね。

「お金が欲しいんだよ」と。
「これが欲しいんだよ」っていうことを表明して、すれば、自分の…意図になる可能性がありますね。
自分の「こうしたい」と、「これが欲しい」と、本心と矛盾してないわけですから。

で、そのうえで
「今 ないと思ってるけど本当かな?」
と思えば、不足としてつかんでるところを緩めることにはなると思うんですね。
だからべつに、そこは矛盾しないと思うし。

で、実際に、それで物理的現象として出てきて「あ 手に入った」とか「あった」とかなれば、もうエゴの不満っていうのはなくなりますから。
納得しますよねってことで。

エゴは納得するまで待つんじゃなくて、エゴが不満として今思ってるところ、それが本当かどうかっていうことですね。
そこをまず、突いてみるべきだと思いますね。

だからその
「根本のところが違うのかもしれないぞ」
っていうふうに疑いを持ってみれば、
「あ これ勘違いだったかもしれない」
みたいなことになるわけですね。

なれば、その握ってるところが緩むから充足が入ってくると。
ならそれは、にお金とか物とか手に入った」とか、「もう持ってた」ということになるかもしれませんね。

あまり強く疑うと、不正プログラムの検閲に引っ掛かりそうな気がして躊躇してしまいます

リ トさん

いつも配信ありがとうございます。

108さんの配信を視ればみるほど惹き込まれ、ここ数日で全ての動画を視聴してしまいました。

不足を疑うについて質問があります。

1、「この世界には充足しか存在しない」「不足は幻想で、不当な体験」ですが、疑うときに毎回これを前提として使うのはアリですか?

そもそも最初から108さんはそう仰っているのかもしれませんが、、

具体的には、

不足を体験した時に、あれー?これ本当ー?おかしくない? +「だって、この世界には充足しか存在しないんだよ?」

と、やる感じです。このようにあまり強く疑うと、不正プログラムの検閲に引っ掛かりそうな気がして躊躇してしまいます。

2、言葉の使い方についてなのですが、不足を知覚した時に「これ本当か?」や「そんなわけないんだけどなぁ、おかしいなぁ」と疑うかわりに「はい、幻想おつかれ」や、強い不足感には「ないない、だってこれどう考えても充足じゃないじゃん」のほうがやりやすいのですが、アリでしょうか?

これも不正プログラムの検閲に引っかかりそうな気がして躊躇してしまいます。

よろしくお願いいたします!

不足を疑う part21

そうですね。

だからね、あの… 前提として使うのはありだと思います。
が、必ずしも万人がそれでじゃあ、それに有益かったら、そうとも限らないかもしれない。

リ トさんはそうすることで自然に疑えるんだったらいいと思うんですけども。

目に見えてる不足を消すことではないので。

だから充足しかないんだよっていうのは本当のことなんですけども。
だからそれを、真理を自分が理解したり腑に落ちてなくても持ってくるというのはあるんだと思うんですが。

ただ、そうすることによって、見えてる不足を…さっきの話じゃないですけども、上書きしようというような感じになると疑うではなくなってしまうから。
そこはちょっと注意した方がいいかもしれないですね。

だから「本当かな?」っていうことに対して、疑うことに対して、なんていうかこう…後ろ盾になるんだったら、そういう前提を持ってきてもいいと思いますが。

強く疑うというよりは、自分が疑うことに対して、ね。
正当性をこう、与えるというか。

要は「疑うのが正しいんだよ」と。
「だって不足あるのが そもそもおかしいんだから」っていう感じで、疑うことが自然な感じになるんだったら、それでいいと思います。

深く考えないで、自分自身の知覚を疑うってことですね

miura seiさん

本当かな?と疑う。深く考えないで、自分自身の知覚を疑うってことですね。

自分は忘れてるんじゃないかと思うことだと認識しました。

本当はあるんじゃないかと、思うこと。自分がおかしいんじゃないかと思うこと。

そういうことで良いんですよね。

不足を疑う part2

ということで。
そうですそうです。

だから、疑ってるのは自分の知覚なんですね。
現象とかいうことよりは、自分が認識してるこれが 知覚がおかしいんだと、いうことなんです。

だから、そこをまず疑う。
だから、そこだけなんですよね。

結局は現象、それによってどうこうじゃなくて、自分が正気じゃないかもしれないっていうことです(笑)
端的に言うとね。 

で、自分の知覚が狂ってるっていうんだったら、知覚が修正されれば、その不足は消えるわけですよね。
要は知覚の狂いが見せてた幻覚みたいな話なんですからっていうことだから。

だから「これ幻覚かもしれないな」と。
「自分の知覚がおかしいのかな」って疑えばその根本のところを疑うことになるわけで。
「不足を疑う」の目的はまさにそれなんですね。

だからそういうふうにやっていってください。
はい。

嫉妬の感情に対してはどうなんでしょう?

muさん

自分の感情を疑うんじゃなくて起こった事象を疑うんですね。

嫉妬の感情に対してはどうなんでしょう?あの子のああ言う所良いなぁ…とかの。

不足を疑う part2

ということですけども。

はい、あの感情を疑うんじゃないですね。
感情を疑うっていうか…感情は、もう今来てる反応じゃないですか。
それを疑っても仕方ないわけですね(笑)
現に今来てる自分の感情ですから

ただ、その感情が何で起きてきたかっていうと…
たとえばそのね、この例でいえば

>あの子のああ言う所良いなぁ…

っていう嫉妬の感情が起きたとしたら、なんでそういう嫉妬の感情が起きたかというと、
「自分は あの子みたいないいところがないから」
「自分はそれを持ってない」
っていう。
だから嫉妬として、それが感情として出てくるわけですね。

だから、それがそもそも違うのかもしれないぞっていうことだから。
疑うポイントは、
「自分はあの子みたいないいところ、持ってないと思ってるけど、本当にそうかな」
っていうふうに疑えば、その嫉妬の感情の根本のところ、その根拠が、ひょっとしたら消失すれば、もうその嫉妬の感情、起きてこないわけです。

だからその、嫉妬の感情の元になってるところを疑えばいいんです。
何らかの条件づけがあるはずです。
「自分はこうだと思っている」と。
で、「あの子は自分がないあれを持っている」と。

なったらそれは嫉妬として出てくるわけですから、
「ひょっとしたら違うのか」
と。
「自分、そう思ってるけど、自分はひょっとしたら持ってるのか」
とか、
「あの子と同じ良いところ持ってるのかな」
とか
「あの子より良いところ持ってるのかな」
とか思えば…
で、それによって「こうに違いない」と思ってる不足の握ってるところが緩めば、充足が視野に入ってくるわけですから。
そういうことを体験することになってくるわけですね。

そしたら、
「あ、もうべつに嫉妬する必要なくなった」
っていうことになるかもしれませんね。
嫉妬の根拠が失われたみたいなことになれば。ね。

だから感情を疑うんじゃないですね。
起こった事象を疑うというよりは、自分が決めつけてるところを疑うってことです。
で、それによって、知覚してるその不足を疑う。
だから要は知覚を疑ってることになるわけです。

だから疑うのは知覚です、ということですね。
自分自身の知覚を、疑うっていうことです。
はい。

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