- 108さんの動画「コメントへのご回答Ⅳその①」をまとめています
- こちらの内容はブログ用に編集してあるものです
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運気やバイオリズムはあると思いますか
Atsushi Suzukiさん
九月のコメント回答は個人的に刺さるものが多く、何度も見直しています。
ありがとうございます。
108さんは風水や四柱推命などの占術はどのように捉えていらっしゃるのですか
運気やバイオリズムはあると思いますか。
コメントへのご回答Ⅱその1(出典不明)
風水や四柱推命などの占術は、前回お答えしたことと同じになりますけども…そんなメカニズムはありません、ということですね。
運気とかもそうですけども、バイオリズムに関しては単純に、内分泌腺のね、何て言うか…リズムなんで、それは人間のリズムとしてあるものですね。
それはわりと科学的なもんだから、運命とかいうこととはまた別ですよね。
だからマイナスからプラスに行くときとか、プラスからマイナスになるときがちょっと調子が変わるからっていうのは、それはミスをしたり事故しやすいとかいうことはあるんで。
昔は、ソ連のタクシー運転手かな?は、バイオリズムを参考に要注意日には勤務から外す、みたいなことやってたらしいですけどね、昔ね。
まあ、どれぐらいの科学的根拠があって実際にって。
まあ、個人差もあるでしょうから、体の内分泌腺の働きっていうのはちゃんとリズムとしてあるんだったら、それは科学的な裏付けがあるもんだから、ちょっとその占いとか、そういうのとはまたちょっと違う分野かもしれないですね。
で、よくこのぐらい歳になると…みたいのあるじゃないですか。
40歳とかその辺りで。
ありますよね。
そういうのも体の調子がそこらへんで、ある程度の歳になってだいたい統計的にいくと調子悪くなる、みたいのがわりとデータとして積み重なってくると気をつけなきゃいけないよ、みたいなのがあると思うんですけど、それは運勢とかいうのとはまた別ですよね。
体の、なんていうか…リズムと言うかね。
ちょっと調子が変わってくるような…ホルモンの問題とかそういうので。
そういうふうになりやすいっていうのはあるかもしれないですけどね。
でも全員がそうなるわけでもないし、まあ統計的にそうだっていうだけのことなので、運命みたいに捉えるのは違いますね。
だからそういうのが、昔の人の知恵で気をつけた方が良いよっていうんだったら、それなりに気を付けとけば、「備えあれば憂いなし」で、避けられるだろうなってことはいえると思いますけど。
デーブイデー、シーデーのくだりは一体何?!笑
あみあみさん
デーブイデー、シーデーのくだりは一体何?!笑
昔のジャパネットたかたとか??
コメントへのご回答Ⅱその2
昔じゃないです、今やってるやつで
「夢ポータブル、DVDプレーヤー」
みたいな(笑)
「夢グループ」っていうテレビショッピングのね、社長が出て、毎回やってくれるんですよね。
よくBSとかで、昔懐かしの映画とか、ああいうの観てたらだいたい出てきます。
ああいうの提供してくれてるんですよ。
けっこう僕、観たい番組は夢グループの社長が提供してくれてスポンサーやってくれてるんで、もう
「いつもありがとう」
と思ってるんですけどね。
ただ、夢グループの商品は買わないだろうなと思いますけど…(笑)
「ほんとほんと楽しめま〜す」
ってね(笑)
社長のあの明るさも良いじゃないですか。
なんかどうしても見たら笑っちゃうんですけどね。
良いと思いますね。
大好きですっごく気が合う人とはやたらシンクロがあるのは振動数が同じだからですか?
るんるんさん
108さんの存在に昨年出会えて「そもそも充足しかない」という原理を知ることができたことが本当に毎日嬉しくて充足を感じて心配や不安が激減していっています。
心から毎日感謝しています!!!!ありがとうございます!!!
良かったですね。
質問なのですが、 大好きですっごく気が合う人とはやたらシンクロがあるのは振動数が同じだからですか?
相手に意識が届くというようなことは実際ありますか?
同時に同じことを考えてたり、飲み残しが全く同じ量だったり、遠くに離れてるのに 同じような作りの部屋にいたり、、、
それと、シンクロを判断材料にしていいのでしょうか?
例えば引っ越しを迷ってる時にやたら引っ越し先の情報を聞いたり目にしたりというようなシンクロです。
コメントへのご回答Ⅱその2
“気が合う”みたいなのありますよね、波長が合うみたいな。
ありますよね。
だからそれは、一種「振動数が近い」ってことは言えると思うんですよね、お互いが持ってる。
だから波長が合う感じがするし、行動パターンも似てたりするからそういうシンクロが起きたりするわけですよね。
>意識が届く
と言うか「感応しやすい」って思います。
それは同じ振動数だから、相手がこう考えてるときに自分も同じように反応したりする、わかったりするわけですよね。
それが、なかなかそりが合わないと全然わかんなかったりするんですけども、そういう相手だとパッとこう相手の思ってることとかわかってすぐ対応できたり、相手が言う前に言いたいこともできたりすると思うんですよ。
判断材料ってのはどういうことなのかですけども…
>引っ越しを迷ってる時にやたら引っ越し先の情報を聞いたり目にしたり
ご自分でピンと来るんだったら、ピンと来たらそれは
「じゃあ引越ししようかな」
とか、そういう材料にしてもいいと思いますけども、そこに別の情報とかが入ってきて関連付けようとすると直感みたいなことから離れていくんで、単純に直感だけを信頼した方が良いと思いますね。
考えてくと、「これは一緒でなきゃいけない」とか、「これはそうなんだから」ってね、勝手にそういうふうに定義づけるようなことになると、直感ではないことになってしまうので。
自分の直感に従う。
中心部の指針。
「なんか良さそう」とか「いい感じする」っていうのに、フィーリングに従っていった方がいいですね。
判断材料によってどうなりたいのか分かりませんが…要は自分の中心部にだけ従って、フィーリングに従っとけば間違うことはないので。
そういうふうにしていってください。
「振動数」とは物理現実で言われている「周波数」と同義ですか?
かんさん
素朴な疑問です。
108さんのおっしゃっている「振動数」とは物理現実で言われている「周波数」とほぼ同義で、単位はヘルツの振動数と同じですか?
適切性と一致する、なりたいものがあるならその振動数になってしまえばいいっていうのは、適切性のヘルツ、なりたいもののヘルツに合わせるということですか?
こういうことを深掘りしていくと、不正プログラムの仕組みに引っかかっちゃうのかなあ。
シリーズ適切性と一致する⑧その2(出典不明)
僕が「振動数」って言ったのは…
それまで言われてきた巷で、「波動」とか、そういう言い方ありますよね。
そういうのと混同して欲しくないんで別の表現を使ったんですね。
だから、ヘルツとかそういうことじゃないですよ。
物理現実の振動数のヘルツってことじゃなくて…
そういう感じの、僕たちが振動してる違いっていうのがあるんです。
振動の仕方と言うか。
たとえば単純に言えば、「嬉しい」ってなってるときの振動数と、塞ぎこんで「ダメだ」ってなってるときの振動数はまるで違うんですね。
というように違いがあるんですってことで。
それは「向き」にも置き換えられるんですけども。
>このヘルツに合わせれば良い
で、これも前言いましたけども
「ぴったり合えばこれになるんだ」
っていうふうに押そうとすれば、もうその適切性とか振動数…自分がなりたい振動数からも離れて、逆に押せなくなっちゃいますから。
じゃなくて、
「自分がもし望む状態になったらどうだろう」
ってそれを意識して感じられたらその振動数になってますよ、その物理次元に今いますよってことなんで。
ヘルツとか考えないでください。
そういう単位とは関係ないです。
物理現実上の…周波数とか電波のとかそういうことではないです。
で、「適切性」は…それは「振動数」とかっていうよりまた違う話なんですよね。
適切性っていうのは、「自分はこうだ」って思ってるとこから離れるって事なんで。
「自分が定義してるこの世界、この中で」って言ってるのを、そっから全く違うことを考慮して、そこの握ってる…ギューっと握ってるところから離れるって事なんですよね。
なれば、実像が意識されるようなことになるんです。
それは「適切性」っていう理解できないもの、捉えにくいもの…ていうか捉えられないものですよね。
「それはなんだろう」って意識することで、この自分の五感で捉えて「こうでなきゃいけない」とか「こうしなきゃ」とか「それにうまく適切に対応しよう」っていって、頭でやってることじゃない方を意識することになるから、その「うまくやろう」ってしてるとこから離れて、単純に「それと一致しよう」という意識になれば、無防備みたいになるんですね。
で、その状態と一致できると。
頭でやろうとしてもなかなかなれないですよね、それは。
「この範囲でやろう」とすることになっちゃうから。
「適切性」は その範囲から出ようとするようなことで。
出て、実像に触れようとするような姿勢なんです。
だから、それは数値化したりできるもんじゃないし、「振動数」とかそういうのとまた違う話なんですけども…
そのときは実像と一致しようとする振動数にはなってるということは言えるかもしれませんが。
それを「こうになっとけばいいんだ」って再現性のあるものとして捉えようとすると違ってくると思うんで。
そういうとこから逆に離れてくださいってことです。
この理性とか頭で捉えて
「こういうふうにしとけばいいんだろう」
っていうとこから離れて、それでは捉えられないものがある、と。
「それはなんだろう」っていうような意識を持つことによって、「こうで」ってこう近視眼的にぎあーってやってるところから離れるんですね。
それが大事なんです。
それが肝です、適切性に関してはね。
何十年も続いている不安に対する事柄にも不足を疑う事で見えてくる事が変わってきますか?
ひろつさん
前回は回答してくださりありがとうございました。
一時的な不足ではなく、ずっと何十年も続いている不安(不足)に対する事柄にも不足を疑う事で効果といいますか見えてくる事が変わってきますか?
はい、変わってきます。
昔から実親と近所にいる陰湿な親戚が大嫌いで、少しでも関わると気持ち悪くなります。親が残した古い家、土地を息子の私が継がないといけないという責任感が何十年も不安恐怖になって押しつぶされそうです。
私は継ぎたくなく自由になりたいです、家を維持する金もありません、しかし継がないと親戚達から「何代も守ってきた土地なんだから 私たちの思い出が」とかそれ系の口攻撃をされることが目に見えてます。
継がないといけない空気がもう私は本当に嫌です。そんなの知らないよ!と言いたいです。言えない立ち位置に置かれてます。
嫌味しか言わない親戚への憎しみに似た感情、そして生まれながらに家や土地を継がないといけないという半強制的な責任感への不安感、監視されたくない、見えない鎖から解放され自由になりたいです。
108さんを知ってからこの不安による不足を疑ってみてますが、それがおまえの定めだ、と思考の返事が来るだけで景色が変わりません、アドバイス頂けたら幸いです。
コメントへのご回答Ⅱその3
>不安による不足を疑ってみてますが
多分ずーっと乗っかってんだと思いますね、消そうとして。
それを消そうとしてやってるから景色が変わらないんだと思います。
疑うんだったら「変わらなくても良い」と。
関係ないので。
景色が変わるどうこうじゃなくて、
「本当は違うのかもしれないぞ これ」
ってそういうふうに疑うんですね。
「本当か?」って。
そういうことなんで。
「この現状変更するためにやる」ってなると、もうそれは“疑う”ではなくなってしまいますよね。
で、状況をお聞きして…いやもう別に「知らないよ」って言っていいんじゃないですかね、それは。
はっきり言ったらどうですか。
「もううんざりなんだ」と。
で、自分の人生の方が大事なんですから。
その親戚がなんだかんだのために自分の人生を犠牲にする筋合いなんかないわけですから。
「知らん」って言って。
「知らん」てして良いと思います。
僕だったら「知らないよ」って言って、どっか知らん…誰も知らんとこに行くかもしれないですね。
もう連絡取らないようにして(笑)
していいと思いますけどね、そんなんなってんだったら。
ほんと、そんなんなってるのかわかんないですけども。
ていうのは、ひろつさん疑ってるんじゃなくて、そういう状況は厳としてあるんでしょうけども…
それ以上にたぶん、ひろつさんが抱えてるものがどんどん思考で何重にもなっていって「うわー」ってなってんだと思うんですよ。
本当はそこまでじゃないかもしれないですよ。
そこも疑ってみていいんじゃないですか。
本当にそれは…こんなにね、プレッシャーになってると思ってたけど、
「本当にそのプレッシャーなのか?これ」
「自分が思ってるだけで 本当は違うのかもな」
っていうふうに、そこは疑って…本当に疑って良いと思いますよ。
で、気楽になることですね。
べつにそう、放り出したって何とかなりますよ(笑)
無責任になって良いと思います。
それこそ本当に…そんなね、親戚に、憎しみに似た感情にまでなってんだったらもうそれ、放り出した方が絶対楽だし、そんな嫌な感情も抱かなくて済むわけですから。
逆恨みみたいなことになってもあれだし。
「知らん知らん」って、自分を貫いたらどうですか、もう。
自分のためにそうするって決めて。
そのことはもう「継がない」と。
「知らない」とやって。
後ご自由にって。
「あなた方で何としてください」って。
言ったらどうですかもう、ね。
言って聞き入れなくても、「そうしますから」って宣言して、もう離れたらどうですかねそこから。
でも本当はそこまで深刻ではないのかもしんないから(笑)
乗せてる荷もちょっと疑ってみて、「あ 違うのかな」っつって下ろして行っていいかもしれないです。
HSPで困っている方、試してみて下さい
yoshikaさん
108さん! この体質、振動数の重い&軽いや、人の念など体感しやすく、ここ1年ほどは、とある同じ職場の人からの強い執着に度々飲み込まれそうになってかなり困っていたのですが、「不足を疑う」の1回目を見ながら「この体感、本当か?」って疑ってみたら、一瞬ですが確かに消えました!
その後も体感が復活する度に疑ってみてますが、確かにその度に消えます。
しばらく続けてみますね!
HSPで困っている方、試してみて下さい。
コメントへのご回答Ⅱその3
良かったですね。
楽になっていってんですよね。
だからそれは、ほぼ思考なんです。
思考によってそれが条件反射的に起きてることなので、疑ったらその思考が
「違うかもしれない」
ってことでね、定義してるとこが緩むから、楽になるわけです。
実際そこまでの問題ではないのを、思考によって増幅して「わー」ってなってるんで、その都度疑ってみることですよね。
そうやって緩めていけば、その分楽になってきます。
手放すって、本当に楽ですね そして楽になったこと自体が変化なんですね
ヨーテさん
不足を疑うって、不足に対する執着を手放す、忘れるってことで、それにより本来の充足が現れて、不足が解消していくということなのかと思ったのですが、本当にそうなんでしょうか。
いろんなことに不足を疑ってみようと試していた矢先、子宮頸部に筋腫ができていると言われました。そういう婦人科系の病気への不安や不足感はなかったのに。まぁ、これについても不足を疑いつつ大きな病院行こうとは思いますが。
本当なのかどうか疑ったり、「もう知らん!」と責任を手放すようにすると、気持ちは確かに楽になります。でも、楽になって何が変わるのか。むしろ意識から手放したことで悪化する場合もあるんじゃないかなと。
ありません。
例えば、苦手な科目の定期テストがあったとして、不足を疑って楽になるより、不足感に苦しみながら無理やり勉強した方が解決すると思うのです。
不足を疑うことで、予想外のところから充足があったというコメントを多数見ていますが、私の場合、予想外のところから病気とか悪いことが起きたりしてるんで…
コメントへのご回答Ⅱその3
ヨーテさん
続きですみません。
あの後数日して、不足を疑うというより「まぁいいや、何とかなるやろ。主が何とかしてくれるやろ。」と、悩むのをやめて今のことに気を向けることができるようになりました。
前までは楽になったといいつつ、まだ握っていたんだなと思いました(もしかしたらこの考え方に慣れてきたのかも)。
手放すって、本当に楽ですね。そして楽になったこと自体が変化なんですね。 これまで握っていた他の問題も手放してみます。
コメントへのご回答Ⅱその3
また追記ですね。
ヨーテさん
先に書いた筋腫の件ですが、大きな病院へ行ったところ、診察の時にそのまま取ってもらえました。
手術になって、全身麻酔するのが嫌だったのと、高い手術代がかかったら嫌だと思っていたのですが、大丈夫でした。
ご心配おかけしてすみませんでした。
本当はここで喜ぶべきところなのに、私の頭は現実を受け入れられないのか、あまり嬉しい気持ちになれない上に、他の心配ばかりしています。
考え方を変えるのに取り組んでいたときは楽になったのに、いざ楽になった状況が出てくると心配を見つけて心配しだすって。
充足を疑い、不足を受け入れる私の理性の性質は本当に根深いようです。
コメントへのご回答Ⅱその3
あのね、意識から手放したことで悪化したりはしないんです。
そんなことはないです。
そういうふうにエゴが言うかもしれないですけど…そんなことは原理的にありえません。
>苦手な科目の定期テストがあったとして不足を疑って
っていうか、それは苦手な科目ってあらかじめ自分でわかってんだから、いい点取りたきゃ勉強するしかないですよね、って話ですよね。
それは不足というより「苦手」ってなってるんですから。
それで点が悪くなったら不足ですけども。
結果出てないんだったら「勉強して点数あげよう」ってするのが普通っていうか、当たり前だし…「不足を疑う」云々の次元の話ではないですねってことですよね。
>不足感に苦しみながら無理やり勉強
ってよくわからないですけど…(笑)
いい点取れたらそれはポジティブじゃないですか。
「良い成績出したい」とか、アスリートが。
一緒でしょ。
それは充足に向けて行動してるってことですよね。
そういう形でなら、向きは充足なんです。
「不足を疑って」っていうか…「不足感に苦しみながら無理矢理勉強」ってそれはおかしいですよね(笑)
じゃなくて「いい点取ろう!」って勉強したら絶対、良いと思いますよ。
結局心配したようなことはなくて、あっさり診察のついでに筋腫取ってもらえて、手術にもならなくて楽だったのに「まだ心配してる」って。
「他の心配ばかりしだす」ってね。
不足に対して病みつきになってるんですよね。
不足なかったら「あれ?」って拍子抜けみたいになったらまた「不足ー」って探し出しちゃって。
それは習い性みたいなことなんで、「あ これでいいのか」と思ってね、あんまり気にしないことですよね。
不足を探すのも「そういう条件反射みたいになってんだろうなー」ぐらいに考えて。
「またかー」みたいに。
軽く考えといた方が良いと思います。
また深刻になるから。
それが不足になってしまいますから。
「はいはい またね」って思っとけばいいと思います。
アカシックレコードはあると思いますか?
まるまるさん
108さんは10年以上も一貫しています。他の自称スピリチュアルリーダーたちは例外なくブレていっています。
死後の世界がないって事は、説明を何度聞いても私は分からないですが、これは分かった人だけ分かればいいでしょうし、分からない自分にとっては、あってもなくても分からないんだから、どっちでもいいです。
108さんに質問なんですが、アカシックレコードはあると思いますか?宇宙のどこかに地球で起きた事象や膨大な記憶の保管庫があるっていう意味なんだと思いますが、私自身よく理解できていないので説明は間違っているかもしれません。
こういうのも霊商と根本は同じ部類だと思うんですが、いかがでしょうか?
私は無いと思っていますが、108さんのお考えを教えて頂きたいです。よろしくお願い致します。
コメントへのご回答Ⅲその1
はい、ないです。
アカシックレコードっていうのは“概念”ですね。
スピリチュアル界ではわりとよく言われてることかもしんないですけど。
既成事実みたいになってますけど。
「じゃあ見たことあるのか」って話ですし。
実際の有様っていうのは、全部の物理現実が同時に全部あるっていうことなんだから、どこかに記録する必要はないわけですよね。
あるわけなんです、それは。
過去のことも同時に、同じ平面上にあるんですっていうことだから。
どっかに全部録音みたいな感じで…録画みたいに記録されてるんじゃなくて、全部同時に、すべての物理現実が…全てのパラレルが全部ありますよってことなんです。
言ってみればそれがアカシックレコードみたいなことですけども。
全部あるんだから、どこかに記録して保存しとく必要ないですよね、って話なんです。
それどっかでたぶん間違って捉えて、アカシックレコードみたいな概念になったんじゃないかなと思ってんですけど。
そういうものがどこかにあるわけではないです。
お答えとしては
「ないです」
ということになります。
自分を幸せにしない真実なら…
べっきゆりさん
自分を幸せにしない真実なら
それが嘘の証拠だから 捨てます!
コメントへのご回答Ⅲその1
うん、その通りですよね。
おっしゃる通りです。