- 108さんの動画「コメントへのご回答Ⅴ」をまとめています
- こちらの内容はブログ用に編集してあるものです
- 全編はこちらからご覧ください
オープニング
こんにちは、108です。
もう2月も終わりですね。
早いですよね。
3月になりますと、WBCがありますね。
あと『シン・仮面ライダー』ね。
映画、劇場版ね。公開になります。
色々イベント目白押しなんで、楽しみにしていきたいと思います。
じゃまた今日もね、コメントから抜粋していくつかお答えしていきたいと思います。
あるかないか分かんないような消えては浮かぶ思考の相手してると、道の向こう側にいた友達を見逃すじゃん?
まっるさん
思考とか焦りに注目が行ってると、今起きてる事に意識が全然向いてない。
思考に構うよりも、今、道を歩いてるなら、外の景色を積極的に見てみる(経験する)方が圧倒的に不快感が少ないわけだから、楽な方を選びたい。
これがフィーリングとして自分が分かるようになったのは、やっぱり気楽になってよう、とし続けたから。
リラックスしていると今、起きていることが自然にたくさん経験されていくと思うんよねぇ。
今、遠くの木に鳥が止まっていることに気づいたけど、もし、焦ってあれどうしよう~とか、頭の中のおしゃべりに夢中だと、気づきにくい。
詰まる所、頭の中の思考に心奪われていると、今のこの状況で得られる体験のほとんどを無視するという事になるね。いま、なにも経験していないって事になる。文字通りせっかくの体験を逃すことになる。
あるかないか分かんないような消えては浮かぶ思考の相手してると、道の向こう側にいた友達を見逃すじゃん?
シリーズ適切性と一致する④その3
ね。ま、もうその通りですね。
おっしゃる通りですね。
だから僕たちは思考に意識が行っちゃうと、今目の前にあることからこう意識が取り除かれて、体験できなくなっていくんですね。
で、体験してる気になってるのは、それはもう思考の中でバーチャルなその幻想をまさに体験してるようなことになってしまうんですね。
そうするとその現実、実際にある充足っていうのをどんどん見逃すことになっちゃうんで…
だからその思考っていうのは一旦置いといて。
思考から離れて、今この瞬間にとどまる。
つまり目の前の現実、それに意識を投入していくっていうことですね。
ちっちゃい子供とかそうだと思うんです。
僕たちはもういろんな経験踏んでるから、ぱっと見て「あ、これはあれだ」っていうふうに判別して、仕分けするようなことをやっちゃってるんですけれども、小さい子供っていうのは全部が新規の体験ですね。
だからもう全部の体験に対してこう意識を、もう全力で投入するようなことになってるんですね。
だから子供のときって時間すごく長く感じたと思うんですけど、あれは物凄くその…全部にもう意識を投入してすべてをもう細かく体験、存分に体験してるからそういうふうに感じるんですけども。
僕たちはもう類似の体験をいっぱいしてきてるから、何か体験するときも「あれと似たあれだ」みたいな感じで仕分けして早送りしちゃうんですね。
完全に味わわずに、もう「あ、あれね」って感じで記号化して、こう早送りして「わかったわかった」って感じで飛ばしていってるんですね。
だから大人になると時間がこう…すごく早く過ぎる感じするのはそれなんですよね。
さっきも「2月です早いですね」って言いましたけど、それもそういうことなんですね。
結局は、僕たちは現実に対して意識をあんまり投入してないから、バーチャルな思考の中で体験した気になってるだけなんですよね。
じゃなくて、実際今ここに留まって目の前の体験を存分にしようと。
そこに意識を全部投入しようっていうふうにすれば、そこにいっぱい充足はあって、それを体験できることになってそれを知覚するようなことになってくるんですね。
それが正しいんですね。
だから思考が本当にあることじゃない。
で、本当にあることは目の前のことだと。
ま、実際には物理現実は幻想ですけども…それでも、そこに意識を投入することになれば思考にはいないことになりますね。
そうなれば、実像の片鱗をそこに発見していくようなことになるんです。
だから、今ここに留まって目の前の状況に…どんな状況だとしても、そこに意識を注ぐというのは有益なことなんですね。
だからそういうふうにしていってください。
不登校だった娘が楽しく登校できるようになり、入院先の病院から終の住処になるだろうと言われた父がみるみる元気になり…
のこのこのさん
はじめまして。いつも楽しみにしています。
昨年たまたま108さんの動画をみつけて失礼ながら半信半疑で試してみたところ、不登校だった娘が楽しく登校できるようになり、入院先の病院から終の住処になるだろうと言われた父がみるみる元気になり、退院にむけてのリハビリが始まりました!
正直最初は良く理解できなかったので、家事をする間などに何度も動画を聞き流していました。
とはいえ、向きを変えればいいは向きを変えるしかないので じゃあそうしようと思い向きを変えました笑
不足を疑うのも疑う しかないのでとりあえず疑いました笑
適切性は現場対応につかわせてもらいました。
その都度何かしら結果が出るので楽しめるようにもなったり。
私はもともと占いや潜在意識書き換えなんかも好きだったので、並行していました。アレもこれも手を出すのはどうかと思いましが、ランチ代位のものだし、108さんに至ってはタダなので😅
それに、施術を依頼するときは丸投げするつもりでお願いするので、一時でも気楽になれました。
今でもまだまだ不安が頭をもたげる時もあるので、今に集中するのがうまく出来るようになりたいです。
長くなってすみません。いつも皆さんのコメントで希望をもらっていたので私の体験もシェアしたくて書かせていただきました。 どんな質問にも時に熱く時に優しく丁寧に応える108さんが大好きです😊
愛川メゾットを語る時に妙に嬉しそうな108さんも好きです。
これからも動画を楽しみにしています。ありがとうございました!
不足を疑う part21
そうですね、あー良かったですね。
たぶんその…
>一時でも気楽になれました
その気楽になったことがポイントだったと思いますね。
よくありますよね、不登校だった子供が登校するようになったって、わりと聞きますよね。
自分のことじゃないのにそうなると。
やっぱり自分がそうやって乗せてるんだけど、乗せてるのを下ろせば、それによって問題が解決する。ね。
乗せることによって問題っていうふうになってるわけですから。
「これなんとかせねば」ってなってるんですけど、「知らないよ」とすれば、気楽になれば、自分でもう背負わなくなるわけですから、その問題を不足として知覚するようなことはなくなるってことは問題が消えるってことなんですね。
素晴らしいですね、はい。
108さんご自身の体験の騒音問題、騒音を疑ったら消えるというふうにはならなかったのでしょうか?
おーじろうさん
初めてコメントします。いつもありがとうございます!
108さんのお話はいつも全て腑におちてほとんど聞かせていただいてますが、1つだけ疑問に思うことがあって質問させてください。
108さんご自身の体験の騒音問題、騒音を疑ったら消えるというふうにはならなかったのでしょうか?
自分にとって嫌なことが不足であれば騒音も不足であってそもそも騒音自体ないってことにはならないのでしょうか?
不足を疑う part21
騒音問題っていうのがね。
これご存じない方にはちょっと簡単に説明しますと、もう何十年も前なんです。
僕がもっとずーっと若い時ですね。
要は騒音問題に悩んでたんですよね。
で、うるさいと。隣とか上とか下とかがね。
で、引っ越したんですけども…それが引っ越すたんびに騒音が倍加していったんですよ。
つまりどんどんどんどんうるさく酷くなっていったんです。もうひどかったです。
で、別の…引っ越してるわけですから住処、住んでる所変わっていくんですけども、変わってそれで必ずまた騒音に遭遇して…ひどいことなんですよ。
最終的にはどうなったかって言うと…もう新築のマンション借りたんです。
それはもう建つ前に借りたんですよ。
探して「ないか」って。端部屋で一番上の部屋で最上階…
で、「もう大丈夫」ってなって、で住んだんですね。
最初は騒音なかったんです。
自分しか入ってなかったから。
もう最初に建つ前から予約してて、で建つかどうかでも入ってこないんで。
僕しか最初入ってなかった。
ところが、しばらくしたら住人が入居しだしたんですね。
で、僕の隣に入ってきた人は…これ本当嘘みたいな話なんですけども…
深夜の12時です。
12時に、エレキギターを大音量でビャーーーンって弾きだしたんですよ(笑)
「う…嘘だろう」と思いましたけどね。
もうそんなひどくなったんです。
だからどんどん引っ越せば引っ越すほど騒音がひどくなっていったんですね。
そういうことがあったんです。
で、それはまあ消えたんですけどそれは、あのね
>疑ったら消えるというふうにはならなかったのでしょうか?
ってそれはもう108になる遥か昔ですから。全然。
何十年も前のときなんで、疑うっていうかそういうメソッドもなかったときなんで。
普通の僕でしたんで。
で、それはどうやって消えたかったら…消そうと思ったんじゃなくて、何て言うかね、また違うところに引っ越したら結局騒音は消えなかったんですけども…
たまたまなんですけど、そのときに、騒音とは違う自分にとって趣味みたいなものが見つかったんです。
たまたまなんですけど。
それに没頭することになったんですよね。
そしたら今まで頭の中騒音のことでいっぱいだったのが、その趣味が楽しくてもう騒音のこと忘れてたんですね。
要はそこにもう意識を…その何て言うか注ぐ余裕、余地がなくなったんですよ。
全部趣味の方に行っちゃったんで。
だからそれまではもう「騒音騒音!」って言ってそこにめちゃくちゃ集中したわけなんです。
「なんとかこれ消せないか」っていうことで実際の行動としてもやってたんだけど、消えなかったんだよね。
消えるどころかどんどん酷くなっていったんですよ、引っ越せば引っ越すほど。
で、あるときたまたまその自分の趣味を見つけてそれにもう、なんていうか思わず…意図したわけじゃなくてたまたまそうなったんですよね。
そっちにもう全エネルギーっていうか全意識を投入するようなことに勝手になったんですね。
そしたら、いつのまにか気が付いたら騒音消えてたんで。うん。
べつに何をしたわけでもないのに、僕は単に騒音のことを忘れてただけなんですね。
趣味に全力で没頭して、謳歌してて、あるとき気が付いたら「あ、騒音…そういやなくなってるな」と思ったんです。
で、そっから僕はもう一回も騒音問題に遭遇してないです、何十年。
で、まあ構造としては…
それまでは「騒音騒音!」っていうことで、僕は騒音を消そうとしながら騒音にめちゃくちゃ意識を集中してた。
つまり、騒音のある方の向き、で騒音を体験する振動数になってたわけなんですね。
それをどんどん強化していったようなことが、その趣味に没頭することでそれが外れたわけなんです。
趣味の振動数になって「それが楽しい!」になったわけなんです。
だからもうその荷も降りたし、自分の振動数が充足になったから…
で騒音に意識も…忘れてたぐらいですから。触らなくなったんです。
そしたら、もう僕の意識から消えたから騒音がもう消えていったっていうことなんですよね。
そういう顛末でした。
だから結構これ似たような体験で思い当たる節は皆さんも思い出したらあると思うんですよ、必ずね。
だからこの「問題ー!」って言って抱えているときは、問題って消えませんよね。
もっとどんどん悪化していったりするんですけども、「もういいや知らない」って諦めたり、もう手に負えないからもう考えないでしょ。意識から取り除いたっていうかね、除外したようなときは…なると、今度は逆にそれによっていつのまにかその問題が消えてた、みたいなことになるんですね。
だから僕たちは、背負うことで問題を成立させてるっていうかね。あることにしちゃってるんですけど、実際にはないので、背負わなくなれば、騒音を知覚することはなくなるんですね。
で、よく僕、騒音問題を引き合いに出すんですけども。
だからなんか今問題抱えている人がいらっしゃったら、「この問題ー!」っていうんじゃなくて、じゃあないもの…もっと自分がもう「楽しい!」ってなる、意識をそこに喜んで投入できることが見つかれば、勝手にそっちに意識をもう全力で投入するようになれば、問題には意識投入できなくなるんですよね。
割けなくなるんですよ、意識がそこに。
なら、もう自分の振動数は充足になるし、問題に意識も注がなくなるから、結果的に問題は消えるということになるんですよ。
だから消そう消そうとしてるときはなかなか、問題はよりこう…輪郭が明確になってくる、はっきりしてくるんですね。
だからじゃなくて、ぼやかしていくっていうのは意識を取り除いていくこと。
自分が楽しいこと、自分が嬉しいっていう、その問題とは全く別のもの…楽しいことの方に意識を向ける。
それはまさに向きの話でもあるんですね。ね。
暗い悲しい方から明るい楽しい方に向きを向けばそれを体験するっていうそれだけのことなので。
もう単純な原理なんです。
だからもし問題があって、「消えないよー」ってなってる人は、もう諦めたり、自分が楽しいことに没頭することで、その問題から意識を取り除いていってください。
そうすれば問題は速やかに消えていくと思います。
待合室でフト「4千円かかるってホント? 払わなくていいんでは?」って 疑問を持ってみたんです
Sa Kaさん
いつも楽しませて頂いています。
「不足を疑う」は面白くて本当に大好きです!
昨日、病院に4千円かかる検査を受けに行った時 待合室でフト「4千円かかるってホント? 払わなくていいんでは?」って 疑問を持ってみたんです。
勿論、エゴは「いやいや流石にそれはw 決まってるんだからww」と騒いでいましたが、
その後診察の流れで 公費扱いになるとの事でナント本当に 1円も払わなくて済みました!!
自分の中で これは決定事項でしょ!と決めつけてる不足案件に、 ひとまず疑いのメスを入れてみるのは 頭も柔らかくなるようで楽しいです。
不足を疑う part21
そうですね。
これもそうですね、だから
>払わなくていいんでは?って疑問を持ってみた
ことで、「4千円払わなきゃ!」って思ってるところの、握ってるところが緩んだわけなんですね。
そしたらもう辻褄合う形で公費扱いになって本当に払わなくて良くなったって…こういうことあると思いますよ、実際みなさんもね。
だから疑うことで緩めば…消そうとかいうんじゃなくて本当に純粋に疑って、シンプルに「払わなくちゃいけないのかな?」とかこの不足本当にあるのかなっていう形でシンプルに本当に疑いを持ったら…消そうとしなくて、僕たちが何かを本当に疑うときに「本当かな」と思うような感じで疑ったら、そういった形で消えていったりすることは本当によくあると思うんでね。
いっぱい報告ありますし。
そういう形で活用していってみてくださいね。
不足を疑う、いつもためしていますがどうにもうまく行きません
くいなさん
いつもありがとうございます。
不足を疑う、いつもためしていますがどうにもうまく行きません。
そういう気持ちさえ疑えばいいのでしょうが、例えば「お金がないってほんと?」「うまくいかないってほんと?」と考えても、ただ唱えているだけで、疑う気持ちがまったく湧いてきません。
不足は全部疑えばいいのはわかります、うまくいかないことを疑えばいいこともわかります。でもこれまで不足を信じ続けてきた自分としては、じゃあ疑えばいいとすぐに切り替えるのはなかなか難しいです。
うまくいっている方はどのように疑う気持ちが湧いてきているのでしょう。
それとも、初めはただ唱えていただけだけどいつのまにかそれがほんとうになってくるのでしょうか。
不足を疑う part21
「不足を疑う」の関連したご質問ですけども。
この二つを比較してみたら分かると思うんですよね。
Sa Kaさんは普通に気楽に疑ってると思うんです。
疑わなきゃいけないっていうより「本当かなあ?」って素朴な疑問を持っただけなんですね。
でもくいなさんはたぶん、“お金”っていうね、たとえばお金だとするとわりと生活にかかわってくることで深刻なことだったりするから、真剣になっちゃうわけだよね。
そうなるとなかなか気楽に疑うってできないと思いますね。
「お金の不足を消すために!」みたいなことになっちゃうと…それは何度も言うけど乗せるようなことになると、「疑う」でもなんでもなくなってしまうんですよね。
「消したいから消したーい!」って主張してるだけみたいな感じで。そのために「疑ったふりをする」みたいなことになっちゃったから…だから「唱えてるだけ」みたいな感じになっちゃうと思うんですよね。
じゃあなくて…だから前置きしたらいいと思います。
「今から疑うけどこれによってお金が、不足は」…例えばですけども、「消滅したりしないよ」と。
「不足消えるわけじゃないけど、本当におかしいから疑うんだ」って。ね。
「本当にそうなのか?」と。「私の知覚これ正しいのか?」と。「今不足を知覚してるけども」っていうふうに。
そういう形で疑ってみたらいいと思うんです。
そこに深刻さを乗せないっていうことですよね。
だから「お金がない」って困ってるんだったら「お金が欲しい!」の方がいいと思います。
「不足を疑う」っていうよりまず「お金が欲しい」って宣言したらいいと思います。
「お金が欲しいんだよ!」って言えばそれは“意図”になる可能性がありますね。
要は「決定する」みたいな。「決意する」みたいなことね。
そこに嘘つくようなことになると…欲しいのに、「じゃなくてお金は本当はあるのかもしれない」みたいになると、自分の「お金が欲しい」っていう純粋な本心を覆い隠すようなことになるから。
じゃなくて、お金が欲しいんだったら「お金が欲しい!」って言っていいと思います。
だって不足してると今思ってるわけですから。
「もっと欲しいんだよ」、「あって欲しいんだよ」って思っていいんです。
それを認めてあげることですよ、まず。ね。
その上で、「お金が足らないと思ってるけど本当かな」って思えば…ちょっとね、「欲しい」っていうふうに主張したうえでやれば、もっと気楽に疑えると思うんですよ。
それが今抑圧してるような感じになってるんじゃないかなと思うんです。
だからまず「お金が欲しい」って言ってみてください。ね。
「こんだけ欲しいんだよ!」って。主張して、その上で、「今お金が不足してると思ってるけど本当かな」って思ったら、ちょっと感覚違ってくるかもしれません。
ちょっとやってみてください。
親族が久しぶりに会ったらかなり小柄だったのに平均身長になってたんよね。25センチくらい伸びてたと思う
まっるさん
ワシの親族が久しぶりに会ったらかなり小柄だったのに平均身長になってたんよね。
25センチくらい伸びてたと思う。
ええ、凄いですね…
前は頭1個ぶんは低かったのに。
それで、久しぶりに会ったといっても1年に1回くらいは会ってたし、当時すでにその親族は30歳は過ぎてたし、成長ホルモン療法などはしてないし、何より背が高くなって欲しいって誰も思ってない。ワシも思ったことなかった。
なのにある日、ワシとほとんど身長変わらないくらいの姿になってた。だけど全く驚かなかった。
本人も「なんか背が伸びたんよね~」と呑気なこと言ってたし、ワシもそうか~と思っただけ。違和感なく即刻受け入れてた。
ここから言えることは本当に今見えてるものの姿なんか当てにならない、親族が身長が低かったという記憶も当てにならない、という事です。
今この瞬間を全力で体験する⑤その1
そうですね。
うん、そうですねこれ…すごいですね。
あの…そうなんですよ。
だからもう実際に、25センチって相当ですけど…記憶はあるわけですよね、「25センチ低かったもっと。はずだ」っていうのがあるんだけど、久しぶりに会ったら自分と同じぐらいになって25センチ伸びてたわけですよ。ね。
常識で考えたらおかしいんですけどもね。
どう考えたってね。
でももう目の前にその親族が現れたら、認めるしかないじゃないですか(笑)
だってそうなってんだからってね。
「え、嘘だ」って言ってもだって実際にいるんだしってなったら(笑)
だからそういうことなんです。
だから、僕たちは頭の中で「そんなことあるわけない」って言うけど、現実にそれ突きつけられたらもう認めざるを得ないわけなんですよね(笑)
だから、辻褄なんか後で勝手に合うし、まっるさんも「いやいやおかしいから絶対調べるぞ」ってやってないじゃないですか。
調べても仕方ないし。
だってその高さ、もうなってんだからって(笑)
だからもう、それでいいわけなんです。
だから、必要なことは自分が望む状態に一致してそれを体験するってなれば、身長25センチも高くなったりするわけですね。
で、なる前は、「もしそんなになっちゃったら色々不都合が起きるんじゃないか」とかね「みんな驚くんじゃないのか」とかね、「何か変に思われるんじゃないか、不審に思われる」とかね(笑)
いろんなこと思うじゃないですか。
ところがそうなってないわけなんですよね。
そうなってないわけです。
だから実際にはならないわけ。
辻褄が合ってちゃんと受け入れられるよってことなんで。ね。
恐れずに、自分の望むことをどんどんリクエストして、それと一致すればいいわけなんです。
そしたら、調和した状態でその自分として存在できるようになるわけですから。
素晴らしいですね。
びっくりですけども(笑)
良かったですね。
朝起きて、立ち上がることも、顔を洗うことも、ご飯食べること。 全てが願望実現じゃーん!!
いきなりだんごさん
108さん、いつもありがとうございます🙇
突然、「私、なんでも実現できる私やんけ?!」と思いました!
ずーっと認識の変更やその他モロモロを願望実現出来る自分になるためにしてました。
でもふと、「あれ?ここがゴールなら私は既に願望実現できる自分なんじゃん?」と思いました。
そう思い現実を見渡すと、ほぼ願望実現してる自分だと気づきました。
朝起きて、立ち上がることも、顔を洗うことも、ご飯食べること。 全てが願望実現じゃーん!!
私は、108さんがいつも言う「充足を見る」が苦手でした。
叶えたい願望は叶ってねぇのに、何で小さな充足を見なきゃいけないんだよ!虚しいだろが!!!と思ってましたw
もしかすると、小さい充足を見つけることにより、私が最初から願望実現できる自分であった!!!(というか最初からあり、どこを体験しようか選ぶだけ、というか本当は別の領域に選ばされてる?)と気づかせるのが108さんの狙いだったのか?と思いましたw(違ったらすみません)
もう何者かにならなくとも私のままで良かった事が本当に腑に落ちたので、これからは安心して生きていきます😍www
今度セミナー参加するときは、いろんな実現報告をするためだけに参加したいなぁwww
108さん本当にありがとうございました(^^)
今この瞬間を全力で体験する⑤その2
ああ、良かったですね。
楽しみにしてますね、実現報告ね。
あのー…そうなんですよ。
だから、「小さい充足」とおっしゃってますけども、それは小さい充足じゃあないんですよ、実はね。
朝起きて立ち上がること変わることご飯食べること…ね。
「何のことはないじゃん」って思ってるかもしれないけど、重大な事なんですそれ。
それを「願望実現じゃん!」って思ったってことは、それは正しいんですね。
実際には〇〇って形で、自分が思ったことがもう実現していってるわけですから。
それは、小さいと思ってることでも実際には、それが体験できてるってことはそれは「ゴールにいる」っていう、まさにそれなんですね。
だから、願望実現…充足に差異はない。
だから、朝起きてご飯食べれたっていうことも、本願を実現したってことも同じなんですそれはね。
そのときどうなってるかったら同じ状態なんです。
つまり、「朝起きてご飯食べる」と「本願成就」は同じなんです。
同じものなんです。
だから、朝起きてご飯食べたってことは本願成就したのと全く同じことなんです。
本願成就そのときしてるんです。
その地点にいるんです。
だからそれがゴールなんですっていうことなんですね。
だからそういう観点で見ていると…見ていくと、この目の前の充足を見逃すなんて…なんてもったいない惜しいことをしてたんだっていうことになりますよ。
それをもっともっと大切にしていこうと…それでゴールを体感できるわけですから。
そのとき、もう全部入ってるわけです。全ての充足がそこには。
まさにその一点にあるわけなんですね。同じ一点なんです。
それに気づけば、まさにその「小さい充足に無理やり意識を向けよう」じゃなくて、「あ、これ体験できて良かった」っていうふうになっていくんです。
だから、小さいと思ってた…これまで小さいと定義していた充足も、もっともっと体感できるようになってくる、「嬉しい!」になっていくんです。
「嬉し〜い安〜い」になってくるんですよね。
「デーブイデー、シーデー…」になってくるんです。
「ほんとほんと楽しめま〜す」になってくるんです、本当に。
だからそういうふうになっていったほうがいいですね。
だから、頭でどうこうじゃなくて、目の前のことにも全力で体験するってやっていけば、充足に敏感になってこれまで…たとえば10パーしかその充足を体感しなかったのがもっと100パー体感できるようになってくるんですね。
そしたらご飯とかでも「美味しい!」ってなるんですよ。
「幸せ!」ってなります。
ならその幸せは、本当に自分が行こうとしてた…「ここに到達したら体験するぞ」って思ってたおっきな充足みたいなのと全く同じものだっていうことに気づいていきますよ。
そしたらもう毎日「幸せ幸せ」になりますよね。
なら振動数が幸せだから、もうどんどんどんどん幸せを体験していくことになる、ということになってきますね。
そうなれば願望実現が難しいと思っていた本願みたいなこともそこに…範囲内に入ってくるようになってくるんです。
どんどん、願望実現も含めて充足を体験することが容易になってくるんですよね。
だから、もっとその…なんというか目の前の、日常の充足っていうものを…味わうっていうかね。喜んで体験するような意識を持ってみてください。ということですね。
エンディング
はい。ちょっとね、今日短いですけども、ここまでということで。はい。
じゃ皆さんどうぞね、健康に…花粉症とかもね、これからちょっとね、心配ですけども皆さん…注意して(笑)
対策練って、健康に、元気に過ごしてください。
はい。じゃまた次回お会いしましょう。
はい、108でした。